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不変の真理(up2002/10.29/pm8:30)
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しっかし、年賀状は、なんて国民的な行事なんだとつくづく思う。昨日から年賀状は1日15000人を超えている。シュンロー氏が言っていたように、まだ年賀状すら発売されていないにも関わらずである。世の中リストラの嵐で、銀行は不良債権を抱えて、みなのたうちまわっていると言うのに、年賀となると、不景気なんてどこかに行ってしまったかのようである。切手代はたった50円だが、みんなが使うとバカにならない。郵便局はガバガバと切手代が落ちて儲かる事になる。いつからこの慣行が始まったのかは知らないが、一度やり始めると人は止まらない。手書きがワープロになり、印刷になり、パソコンになっても、年賀状が郵便局から発売されるのは変わらない。
思えば、少年サンデーに天文学に興味のある人文通しませんかと一文を寄せたのは私が小学校5年の時の事だった。まるで絨毯爆撃のようにハガキや手紙がやってた。そして、僅かだが郵便局を儲けさせた。その数1週間で250通。封書の切手代がまだ10円の時の事だ。
天文学なんて大袈裟な事ではなかったが、宇宙の広大さに魅了されていた。小学校の図書館に行っては、本や図鑑を見ると、太陽が夏みかんなら、地球は50メートル離れた豆粒だ…みたいな例えが載っていた。すると冥王星なんて夏みかんから2キロも離れる。そしてその太陽系から一番近い恒星は、夏みかんから何百キロも離れた場所にある…なんて考えると、宇宙の広大さが実感できた。まだ坊主頭の少年にとっては、不思議で仕方なかったのである。それが興味のある人と手紙を交わしたいと思った動機だった。
しかし当時も今も250通は尋常ではない。郵便局のおっちゃんが、一体何があったんや、ここは…とばかりに毎日封筒を運んできた。だが、天文学などと背伸びをしたのが間違いだった。天体望遠鏡の話や、カメラ持って撮影している話や、専門的な事ばかり書いて来られても惑うばかりだったからである。当時彗星を発見した落合少年のようにボクも自分の名前のついた彗星を発見するのが夢ですと言われて困った。同年代よりも年上の中学生や中には高校生までいた。11才のガキんちょにそんな難しい事書いてきてどないすんねん…わからんがな。というのが、当時の正直な気持ちだった。そんなつもりじゃなかった。気軽に書いただけや。
それはまるで、軽いノリでボク…UFOを見たと言ったら、いきなりテレビ局がやってきて、記者会見を開く羽目に陥って、引っ込みがつかなくなったかのようだったのでございます(ここ、できれば岸田今日子の声で読んで下さい)
しかし、数が多いと変なのが混じるのはいつの時代も同じである。いきなり、サイボーグ009の絵を描いてきて、ボク石森章太郎が大好きです。お手紙待ってますってのもあった。おいおい、天文学って書いてあるやろ、どこ見とんねん。ピントの方が天文単位でずれている。
手紙爆弾は、尽きることなくその後も次から次へとやって来た。幸福の手紙と書いてあるが不幸の手紙も多かった。その時、住所表示を普段使わない表記にしたもんだから、知り合いに出せと書いてあるのに、サンデーに出した時の住所表記でやってくる。出所がバレバレである。これが今で言うところのウィルス手紙というかスパムハガキみたいなものだったろう。
これで、私はその後住所を書く必要が出てきた時に、ちょっとづつ表記を変えて書く事を覚えた。わざとひらがなにしたり、カタカナにしたりするのである。見知らぬ手紙やハガキが来たら、どこから来たのかがすぐ分かる。今で言えばアクセス解析みたいなものだ。
時が流れ流れて少年も中年となる。だが、時代が変化してもやっぱりメールに苦しめられている。何でこんなにいっぱい来るねん。止めどなくやってくるのだ。数を増殖させながら手当たり次第に人の所に送りつけるウィルスという名の不幸のメールも飽くることなくやって来る。そしてやっぱり天文学的にピントを外した質問や意見が書いてあるメールもあったりするのだ。相手が男なら、あほか〜〜〜〜、どこ見とんねん。ちゃんと書いてあるやろ〜〜〜とモニタに向かって怒鳴りつけ、
相手が女性ならば、そんな訳の分からない事を言うと、レイプしちゃうぞ〜〜と心の中で思うのでありました。(ここは是非、森本レオの声で読んで下さい)
時代が移り変わり、どんなに技術が進歩して、どんなに世の中が変わっても、それを作って来たのは人間である。人間の心そのもの。人の心は進歩する事無くいつも変わらず同じように底流に流れている。だから醜さも美しさも決して変わる事なく、現象はいつも同じに違いない…と思えるのであります。
そして、少年時代と見た目は変わり果てても、中味は変わることなく私の1日が今日も過ぎてしまったのでございます。