私は福井の片田舎に生まれた。出は田舎者である。小さい頃から田舎の文化の洗礼を受けて育って来た。18で故郷を後にしたが、多感な成長期を田舎で過ごしたという事実は、都会暮らしの方が圧倒的に長くなった今となっても、染みついたように決して消えない自分の原点みたいなものだ。田舎では決してカギをかけないという常識がある。それは家であろうと車であろうと同じ事である。泥棒がいないのだ。いや、いない訳ではないだろうが、カギを掛けるということすなわち周りを信用していない事と直結する。 家宅不法侵入なんてざらにある。誰もいないのに親父はおるか〜と言って、近所の親父が家に入ってきて家の中をうろうろしてる事もあった。私は家の二階の自室に居たのだが、そこにまで来て、親父はどこいった?と聞いてくるのもいた。プライバシー等どこにあるのだ。おちおち女も連れ込めなかったのだ(連れ込む相手がいなかったとも言うが…。) 大阪に来て初めてカギを掛ける文化と出会った。今では当たり前の事だが驚いた。寮に住んでいたのだが、部屋のカギをしめる者がいる。車のカギをしめる。団地に行けば、真昼からカギをしめる。インターホンを鳴らしてもカギをしめたまま会話をするという、当時の私からは信じられない光景がそこにあったのだ。き、君らはそれでも人間かぁ〜!人を人が信用出来なくてどーする!19才の青年は怒ったものだった。 独身寮では自室にカギを掛けない人間が大半だった。田舎者が多いせいでもある。財布も無造作に置いてある。しかしある時、自分の財布から1万円札が抜かれている事に気がついた。まさか…と思いながらも独身寮内の出来事だったので同僚を疑う事になる。それは嫌だったし、問題にすれば嫌な目に遭う事になる。親しい友人と相談して何もなかった事にした。帰省した時にたまたまそんな話をしたら私の母はこう言った。それはお前が悪い…。カギを掛けてない方が悪い。カギをかけてなければ入れなかったし、無造作に財布があれば盗むつもりがなくても出来心が起きるかもしれない。だから犯罪をおかさせたのは俺だと言うのだ。盗んだ奴は被害者だ…と。 とても田舎の母の言葉とは思えなかったが、なるほど…そういう考えかたもあるか…と妙に納得した。だが、それでも私は独身寮にいる間、決してカギは掛けなかった。嫌だったのだ。 物理的なカギだけがカギではない。心のカギだって同じだ。心を開けば土足で入られる事もある。心を盗まれて傷を負う事もある。だけど、カギをしめてしまえば、盗人は来ないが、誰も心を開いて訪れて来ることもない。諸刃の剣だ。どっちが良いとも言えない。どちらを選ぶかはその人次第。インターネットにも都会と田舎があるようだ。カギを掛けていない方は、心の宝石を盗まれないように…ご用心あれ。 (ふゆき)
|
||||||||
|
|
| ● |
![]() |
|
| ● |